2017年10月18日水曜日

若者を見殺しにする国―私を戦争に向かわせるものは何か [著]赤木智弘

■現代をいさめる捨て身の戦略

 「論座」一月号で衝撃的な戦争待望論を掲げて登場した著者の単行本第一作。デビュー論への左翼各界からの論難に対する反論も収録しており、弱者救済を唱えるリベラルに著者が激しい非難を浴びせた理由がよく分かる。
 弱者保護にまつわる利権の保持に汲々(きゅうきゅう)とする左翼リベラルは、不況下で多数の若者が就業機会を喪失したがゆえに団塊世代の安定的雇用が維持されるという差別構造の存続に与(くみ)し、世代間格差が固定化するのを黙止してきた。救済の途を閉ざされた非正規雇用の若者は、もはや戦争が引き起こす混乱でこの差別構造が崩壊するのに希望を託すしかないというのが著者の主張の骨子だ。
 この論旨の妥当性についてはいずれ多方面から批判検討の対象になるだろう。むしろ注目したいのは、おのれの私生活を剥(む)き出しにするという捨て身の戦略が、ある意味で私小説的な手法にもとづく表現形態であることだ。強者への道徳の強制という極端な主張は、自らにひそむ業のありように自覚的であるからこそなされたものと見るべきだ。著者が今後とも現代社会に警鐘を鳴らしえるか、それは偏(ひとえ)にこの文体(スタイル)を維持・洗練できるかにかかっているに違いない。
 赤井敏夫(神戸学院大教授)
   *
 双風舎・1575円

2017年10月17日火曜日

子どもが忌避される時代―なぜ子どもは生まれにくくなったのか [著]本田和子

■「次世代を作る」を公的な営みと主張

 私事になり恐縮だが、私には子どもがいない。決意や選択の結果というより、何も選択せずにいたら自然にこうなった、とこれまで思っていた。
 著者は、少子化の根っこにあるのは「子ども忌避」の心性だとする。だとすると私も、自分でも気づかぬうちに「次世代の人間を作り出すという営み」を積極的に忌避していたのだろうか。これはただごとではない。
 しかし著者は、この「子ども忌避」は現代女性の意識の変化のみによって起きたものではない、とする。それは、社会の近代化に伴ういくつかの変化の総体なのだ。そして、親子関係、生活空間、都市空間、情報ツールやメディア、犯罪など、それぞれの要素ごとに「子ども感」の変化の歴史を丹念にたどっていく。
 たとえば、親子関係に関する章には、西欧文明の輸入である「ホーム主義」と前近代社会の「イエ」概念が結びついた結果としての「緊密な母子関係」がどういうプロセスで変遷していったかが描かれる。家電製品やインスタント食品、塾の普及などの結果、母親は子どもにとって「なくてはならない者」ではなくなっていき、親子は互いに必然性の乏しい存在となってしまった。そしてもちろん、この親子関係の希薄化は、「子どもの忌避」の要因のひとつにしかすぎない。
 なるほど。“なんとなく子どもがいない私”も、明治以降の複合的な社会変動のひとつの結果だったということか。「産まない女はワガママ」と責められるよりは「近代化の必然」と言ってもらったほうが気がラクだが、それで問題が解決したわけではない。著者は、「人」という種を絶滅から守るための生殖行為を、単なる私的行為を超えた「大いなる目的に奉仕する『公的』な営み」に位置づけよと主張する。「その責務を果たしていない私っていったい……」とまたまた「私」に拘泥してしまうのが、そもそも近代の病理なのだろう。近代的自我と「子ども」は両立するのか否か。あまりにもむずかしい問題だ。
 評・香山リカ(精神科医)
   *
 新曜社・2940円/ほんだ・ますこ 31年生まれ。お茶の水女子大元学長、名誉教授(子ども学)。

2017年10月16日月曜日

集合住宅と日本人―新たな「共同性」を求めて [著]竹井隆人

■他者を意識した緊張感ある共同体を

 かなり論争的な本だ。タイトルを見ると、集合住宅におけるコミュニティーや共同的なまちづくりの重要性が、生温かい理想主義的な雰囲気を伴いながら描かれているのではないか、と私たちは考えてしまう。しかしこの本は、私たちが何となく「善(よ)きもの」と前提しているような「コミュニティー」や「まちづくり」のイメージに違和を決然と表明する。
 たとえば、住民たちの交流を推進するコミュニティーの構築について。著者はその重要性を一定程度認めつつも、それが多くの場合曖昧(あいまい)な形で語られ「はなはだ情念的で表面的な意味合いでの人間同士のつきあい」として捉(とら)えられているのではないか、と論じる。コミュニティーをめぐる言論空間のなかで、住民の主体的な政治参加の契機が見失われつつあるのではないか、ということだ。では、住民の自主性が前面化しているようにみえる住民運動はどうか。これについても——「すべての」というわけではないだろうが——「住民運動に透けて見えるのは、自分たちの住宅を既得権とし、それ以後に建設される住宅のみに規制をかけるべきだという身勝手さ、あるいは……無責任さであろう」と手厳しい。著者が目指す「新たな共同性」は、表面的な相互交流(コミュニティー)でも他律的なまちづくりでもなく、住民による主体的な政治的共同性の構築=ガバナンスを体現した意味空間において立ち現れてくる。それは内輪的なつながりを超え、他者が自らとは異なった存在であるということを前提とした緊張感溢(あふ)れるものとなるだろう。
 しばしば異質な他者との出会いを阻むものとして批判されるゲーテッド・コミュニティー(防犯のため構築された閉鎖空間)についても著者独自の分析が加えられており、監視社会論に対する問題提起として受け止めることもできる。評者は著者の「日本人」をめぐる文化論的考察のすべてに同意するものではないが、都市や住居空間の共同性の持つ複雑性について多くの理論的示唆を受け取った。論争を喚起する刺激的な本であることに間違いはない。
 評・北田暁大(東京大学准教授)
   *
 平凡社・2940円/たけい・たかひと 68年生まれ。著書に『集合住宅デモクラシー』など。

2017年10月15日日曜日

ネットカフェ難民―ドキュメント「最底辺生活」 [著]川崎昌平

■1泊2千円で浮遊する若者

 ネットカフェ難民には月最低9万円が必要で、そのうち6万が宿泊代と知って、思わず首を傾(かし)げた。わずか1畳の空間に1泊2千円かける彼らってなに?
 お風呂なしで月3万とか4万で6畳の部屋もあるよー、と言いたくなる。
 携帯電話を使っての日雇いバイトも実に効率が悪い。あえて継続する仕事に背を向け、まっとうな生活を拒むかのごとき選択だ。
 本書は25歳の無気力な若者が、親元を出てネットカフェ難民になった体験記だが、その具体的な日々を知るにつれ、彼らの生活を若年層の「経済格差」の実態と見るだけでは捉(とら)えきれないものを感じる。
 ほら、いたでしょう? ヒッピーとか、フーテンとか、いつの時代にも、家を捨て、街を浮遊して生きる若者たちが。ネットカフェ難民の少なからずは、その系譜に属する若者なのかもしれない。
 しかも、豊かさの中で育った彼らは、社会の最底辺に身を置くことでしか、リアルな現実を体験するすべがない。無意識のうちに生きる技術を欲し、自立の修行をしているように見える。本書からは、ネットカフェ難民とは? というもうひとつの視点が得られるだろう。
 久田恵(ノンフィクション作家)
   *
 幻冬舎新書・777円

2017年10月14日土曜日

ひきこもりの<ゴール> [著]石川良子/ひきこもりはなぜ「治る」のか? [著]斎藤環

■彼らを理解できない苦しみに光を

 ある母親が言った。息子がひきこもって7年。以来、顔を見たことがない、と。
 彼女は、時折、深夜に外に出て2階の窓を見上げる。灯(とも)った明かりに人の気配を感じ、息子の成長を想像する。望みはたったひとつ。「澄んだ青い空をあの子に見せたい」。そう言って、母親は涙ぐんだ。
 自立期を迎えた子どものいる家庭内で、尋常ならざることが起きている、と取材で知ったのは10年前。このころ、精神科医の斎藤環の『社会的ひきこもり』が出された。臨床現場で問題になっていたこの現象に、精神医学的な位置づけをおこなった最初の本である。
 この本で、「ひきこもり」は、精神障害ではなく、社会適応が難しい子どもであること、その期間の長期化は重症化を進めるので治療的介入が必要と、提言された。同時に、その数、100万人、との推測もされ、にわかにメディアでも取り上げられ、支援団体が次々と生まれた。
 さらに10年が経過。
 状況は改善されたのだろうか。
 石川良子著の『ひきこもりの〈ゴール〉 「就労」でもなく「対人関係」でもなく』によれば、近年、ニートなど若者無業者の問題が浮上する中、「ひきこもり」支援の目標が、「対人関係の獲得」や「就労の達成」という外面的な面ばかりが重視されるようになったとか。当人たちの抱える「内面の問題」が解決されないまま、「働け」と追い立てられ、彼らはさらなる葛藤(かっとう)にさらされていると指摘されている。
 必要なことは、まず、彼らを理解すること。目下の「ひきこもり」支援策は、この当たり前とも言える主張が再度されねばならない現状にあるらしい。
 けれど、長期にわたって「ひきこもり」の子どもを抱え、疲弊し切った親に「理解せよ!」はつらい。その理解できない苦しみにこそ、ずっと苛(さいな)まれてきたのである。
 となれば、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』で示される斎藤環の最新治療論が、その理解を助け、「治る」へ向かっての光明を与えてくれるかもしれない。
 本書では、これまで実践的知識の普及に努めてきた著者が言い続けてきたこと、「親は当人に一番言いたいことを禁欲せよ」とか「安心してひきこもれる環境を整えよ」とか「会話はあいさつから」などなど、その背景にある考え方、「なぜ、そうすべきなのか」をできうるかぎりの分かりやすさで解説することを試みている。
 自己愛とは? 欲望とは? 成熟とは? 自信とプライドとの関係とは?
 主にラカン、コフート、クラインなどの精神分析論を駆使しての解説だが、ひきこもる人が、なにに苦しみ、なにに不安を抱いているのかが見えれば、それを取り除くべく知恵を絞るその方向が見えてくる。
 「ひきこもり」問題だけではなく、自立というゴールに向けて親が子育てをしていくためにもこの本は示唆に富み、思春期対応策としても役立つにちがいない。
 [評]久田恵(ノンフィクション作家)
   *
 『〈ゴール〉』青弓社・1680円/いしかわ・りょうこ 77年生まれ。横浜市立大非常勤講師。▽『なぜ「治る」のか?』中央法規出版・1365円/さいとう・たまき 61年生まれ。精神科医。

2017年10月13日金曜日

景観にかける―国立マンション訴訟を闘って [著]石原一子

■市民の権利を守る最後の砦は、誰か
 
 ここ数年、グローバリゼーションの名の下に「何でも米国式制度にすることが良いこと」とされ、建築の世界でも行政による業者への監督指導が薄れて、住宅地に周囲の景観を損なう巨大マンションが建てられている。
 しかし、米国で規制緩和が成立する背景には、被害を被る市民を守る要として司法が行政などを正していく「司法積極主義」が前提にあるからである。司法が法律解釈のみを行って行政には口を出さない「司法消極主義」のままならば、近隣住民の権利は守られないことになる。
 著者は百貨店の重役を務めた後、自宅のある国立市に持ち上がった大手不動産会社の手によるマンション建築に対して、近隣住民と共に闘うことになる。そもそも建築基準法は、多種多様な個々の建物の一つ一つまでを想定してできた法律ではなく、適用には行政の解釈が大きく影響する。業者寄りに同法を解釈すれば、周囲を圧する巨大マンションを建築することが可能になる。
 本書に出てくる14階建てマンションも、行政が「異例の速さで建築確認を下ろし」、住民は業者に対する民事裁判と都に対する行政裁判で争うことになる。東京地裁では住民が主張する景観利益の不法侵害が認められて、建物の一部の撤去が命じられたが、その後の東京高裁では逆転敗訴。最高裁では「景観利益」は認められたものの、上告そのものは棄却された。
 国立のマンション問題から見えてくるのは、市民団体に比べて企業が圧倒的に有利な立場にあることだ。企業側は訴訟に担当の社員を割り当て、高名な弁護士も雇えるが、市民団体側は仕事の合間を縫ってのボランティア活動であり、弁護士の費用でも限界がある。本来、市民の利益を守るべき立場にある市議会に陳情しても、企業側を利すると思われる行動をする議員もいるようだ。
 規制緩和が進む中で、一体、「誰が市民の利益を守る最後の砦(とりで)になるのか?」との疑問をもつ。日本の現実を考える上でも、ぜひ一読を勧めたい。
 評・小林良彰(慶応大学教授)
     *
 新評論・2625円/いしはら・いちこ 24年生まれ。元高島屋常務。著書に『売場のヒット商品学』など。 

2017年10月12日木曜日

〈性〉と日本語―ことばがつくる女と男 [著]中村桃子

■私らしく話す手がかりに
 
 日本語には、「わたしとボク」に代表される「女/男ことば」がある。この使い分けは自然なもの、と思っている人たちに著者は畳みかけるように問いかける。だとしたら「女の子なんだからもっとていねいな言葉づかいを」とは言われても、「男なんだからもっと乱暴に話しなさい」とは言われないのはなぜ? これって実は性による自然な使い分けなんかじゃなくて、“女らしい”言葉づかいを通して、女性たちを「男に愛されてナンボ」という異性愛市場に組み入れようとしてきたんじゃないの? だからそれに抵抗する少女たちは、自分のことを「ぼく・おれ・うち」などと呼ぶのだ。
 古典からマンガのセリフ、迷惑メールまでを材料に、言葉づかいに刻印された性の規範意識をテンポよく浮かび上がらせていく。そして、時代とともに規範が変われば言葉も変わるのは当然なのだから、そろそろ「最近の女性の言葉づかいの乱れ」を嘆くのはやめようよ、と呼びかける。自分らしさを表現するための言葉なのに、何かの押しつけの手段になるのはつまらない。堅苦しくなりがちなテーマだが、「私らしく話したい!」と元気がわいてくる楽しい一冊に仕上がっている。
 評・香山リカ(精神科医)
   *
 NHKブックス・1019円

2017年10月11日水曜日

横浜の関東大震災 [著]今井清一

■孤立無援の中の勇気と衝動

 都会で激烈な地震被害にあうと、人はどんな行動に出るのか。人口比で見ると関東大震災による罹災(りさい)者の比率は、地震の揺れが大きかった横浜の方が東京よりひどかった。横浜では瞬時に多くの建物が倒壊し、同時に火災が発生し、倒壊を免れた市街地もその日のうちにほとんど焼き尽くされたのである。
 東京から小規模の軍の救援隊が到着したのは、2日後の9月3日のことである。しかし軍隊や警察の関心は医療や食糧など被災者の生活援助より、専ら被災地の治安維持に向けられていた。そのため横浜の市民は地震の被害に直面しつつ、孤立無援の中で何日間も自力で生き抜かなければならなかったのである。そこでは見知らぬ人同士が、協力して救助に当たった事例も見られた。だが本書は、差し迫った食糧放出の要求が、やがて地元住民による野放図な略奪に変質していく過程も描いている。
 朝鮮人が集団で襲撃してくるとの流言は、横浜で発生した。治安維持を重視していた警察はこのデマを広め、自警団による朝鮮人の大量虐殺を促すことになる。危機における民衆の勇気と非合理な衝動の二つを描いて、考えさせる本といえよう。
 評・赤澤史朗(立命館大学教授)
     *
 有隣堂・2415円

2017年10月10日火曜日

捨てられるホワイトカラー [著]バーバラ・エーレンライク

■失業者に扮して職探しに挑戦

 貧困と無縁だったホワイトカラーの専門職や管理職が、アメリカでは生活不安に晒(さら)されている。より良い職を求めて自発的に失業することはあっても、会社から「捨てられる」ことはないと信じてきた「中流の立派な」人たちが、いまや「突然に解雇や休業を言い渡されるのではないかと心配してい」るのだ。
 コラムニストの著者は、アメリカでミリオンセラーになり昨年邦訳された『ニッケル・アンド・ダイムド』を書くために、ワーキング・プアを体験したが、本書ではホワイトカラーの失業者に扮して職探しに挑戦する。小銭で食いつなぐ生活と比べれば、「負担が少ないものになるだろうと」高を括(くく)っていた著者は、「やがて、そのすべてが間違っていたことを思い知らされる」。捨てられたホワイトカラーが希望通りの職に就くのは「ラクダが針の穴を通る」よりもむずかしいからだ。実際、何百もの会社に履歴書を送り、1回数百ドルも支払って職探しの指南を受け、エレベータースピーチ(自己PR)の練習に励んでも、まともな会社から「面接をしたい」と返事がくる確率はゼロに近い。
 1年近くに及んだ著者の職探しの成果も、わずか2カ所から採用の申し出を受けたにすぎない。それも会社から保険や化粧品の販売委託を受け、売り上げに応じて手数料が入るだけで、健康保険の「特典」もなく「多くの人々が、破産したり……貧困ラインすれすれの収入を稼ぐためにあくせく働いている」ような仕事である。
 捨てられたホワイトカラーの多くは失業保険を打ち切られても、貯金が底をつくまで職を探し続け、最後は「社会の階層を下降」していくという。アメリカでは……が、日本でも……になる前に、「報われる保証はない」会社に忠誠を誓うよりも、「経営者の独断や横暴から身を守るために」日本のホワイトカラーは団結すべきではないか。一生懸命働けば安心と安定が得られると喧伝(けんでん)する会社の「おとり商法」(本書の原題)に、いつまでも騙(だま)されていてはならないのである。
 評・高橋伸彰(立命館大学教授)
    *
 曽田和子訳、東洋経済新報社・1890円/Barbara Ehrenreich 41年生まれ。米のコラムニスト。

2017年10月9日月曜日

仮説の検証―科学ジャーナリストの仕事 [著]小出五郎

■どう科学と向き合うべきか

 メディアが、専門知識のない一般の人にも解(わか)るように「科学」を説明しようとするとき、より慎重な姿勢が要求される。安易な解釈や演出に逃げ込めば、メディアと科学の不幸な関係を招いてしまう。私がそのことを肌で感じたのは、この1月にデータ捏造(ねつぞう)が発覚した「発掘!あるある大事典2」問題の外部調査委員を引き受けた時である。
 著者も指摘するように、この事件は「科学番組」全体の信頼を揺るがせることとなった。「納豆がダイエットに役立つ」という仮説は成り立つだろうが、真面目(まじめ)に取材・検証すれば、誤りにすぐ気づくはずだ。ジャーナリストは科学とどう向き合うか。その作法を体験的に綴(つづ)ったのが本書である。
 特に著者が責任者として84年に放送した「核戦争後の地球」の制作過程と、その「反響」と向き合った様子を記録した本書の後半は圧巻である。放送後、こういう番組を作るためなら受信料を払うと書いた放送ジャーナリストがいる一方、一部のメディアや研究者からは、「欺瞞(ぎまん)」「偏向」の番組として、非難・圧力が加えられる。
 著者たちの攻防には、放送が何を伝え、何を守るべきなのかを改めて考えさせられる。
 音好宏(上智大学教授)
     *
 講談社・1680円

2017年10月8日日曜日

私は逃げない―ある女性弁護士のイスラム革命 [著]シリン・エバディ

■イランで目覚めた女性たちを後押し

 2003年、イラン人女性弁護士のシリン・エバディがノーベル平和賞を受賞したとき、多くの日本人は、それって誰だ? と思ったろう。
 一方で、彼女がイラン・イスラーム体制に対して民主化、女性の権利擁護を要求してきた、ということを知る人のなかには、欧米のイラン批判を後押しする受賞では、と斜に構える者もいた。折しも米英がイラク政権を武力で転覆し、楽天的に中東の民主化を謳(うた)っていた時期だ。当時のハータミー・イラン大統領の改革路線が、壁にぶつかっていた時期でもある。
 しかし本書を読むと、そんな生易しいものではないことが、わかる。国外に亡命し、安全な高みから民主化を叫ぶ亡命知識人は、多い。だが彼女は一貫して、海外に逃げないことにこだわる。
 情報機関の暗殺リストに載っても、知識人を狙う連続殺人事件に巻き込まれても、刑務所送りになっても、逃げない。どれも、踵(きびす)を返したくなるようなことばかりだというのに。
 そのこだわりは、「私がイランで果たす役割」は、「海の向こうの大陸から……こなせる」ものではない、と筆者が確信しているからだ。ノーベル賞決定後、帰国して最も著者の胸を打ったのは「イラン万歳」という手書きのポスターだった。それが、著者の祖国への愛を示している。
 また、欧米の短絡的なイスラーム観にも批判的だ。イランの女性は、イスラームのせいで束縛されているのではない。自由や民主主義はイスラームと矛盾しない——。一貫して著者はそう主張する。
 イラン革命によって、実は女性の教育水準は格段に上昇した。これまで伝統的家庭のなかに閉じ込められていたような若い女性が、イラン革命によって政治に覚醒(かくせい)し、革命の「指導者」役になる。彼女たちは、自分にも重要性がある、社会で役割を果たしうる、と気づいたのだ。
 革命で女性裁判官という職を奪われた著者が、革命によって目覚めた若い女性たちの社会進出を、後押しする。祖国の現実から逃げない著者の生き様が、力強い。
 評・酒井啓子(東京外国語大学教授)
   *
 竹林卓訳、ランダムハウス講談社・1995円/Shirin Ebadi 47年生まれ。テヘラン市在住。

2017年10月7日土曜日

暴走老人! [著]藤原智美

■丸くならない「新老人」を生んだのは

 巷(ちまた)ですでに話題沸騰寸前の本である。『暴走老人!』。作家の藤原智美さんによる、「新タイプの老人」考だ。
 人は歳(とし)とともに成熟し、分別を身につけて丸くなる——そんな常識に反し、どうも最近、不可解な行動で摩擦を起こしたり、暴力的な行動に走る老人が目立つ気がするぞ。そう考えた藤原さんが彼らに与えた呼称が「新老人」。
 若者の暴走をしたり顔で分析した本は多いけど(で、その多くは単なる若者嫌いの暴論だったりするのだが)、若者の凶悪犯罪は統計的にはむしろ減っているのである。ところが、65歳以上の犯罪はこの15年強でじつに5倍!
 ああ、やっぱりな。うちのオトーサンもキレやすいもんなぞと思った読者も多いのではないか。それが売れている理由だと思うのだが、「盛大にやっつけてくれ」と願うおおかたの期待(?)に反し、この本自体は暴走しない。
 税務署で病院で高速道路の料金所で著者が実際に目にした例。あるいは新聞で報じられた高齢者が主役の事件。そんなものを手がかりに、著者の目は「何が彼や彼女をそうさせたか」という背景の分析へと向かうのである。
 ケータイやインターネットの普及は時間の感覚を変容させた。高齢化が進む郊外に象徴されるように、外界と隔てられた住環境は独居老人を精神的にも孤立させる。人と人との関係も、コンビニやファミレスのようにマニュアル化され、透明なルールがそこいらじゅうに張り巡らされている。高齢者を疎外する要素には事欠かないのである。
 若者叩(たた)きには嬉々(きき)として興じても、老人批判がしにくいのは「未来の自分」がそこに重なるからだろう。〈社会の情報化へスムーズに適応できないこと〉が彼らを暴走させるという著者の分析は、情報弱者としての老人を浮き彫りにして説得力に富む。
 だが、この本に登場する新老人の暴走なんかまだカワイイもの、ともいえるのだ。ご近所トラブルより始末が悪いのは「権力を持った旧老人」の暴走である。そちらへの言及がないのはやや不満。迷惑の度合いを考えれば、ね。
 評・斎藤美奈子(文芸評論家)
     *
 文芸春秋・1050円/ふじわら・ともみ 55年生まれ。92年『運転士』で芥川賞。『群体(クラスター)』『モナの瞳』など。

2017年10月6日金曜日

分裂にっぽん―中流層はどこへ [著]朝日新聞「分裂にっぽん」取材班

■中流層の崩壊現場を歩き、真偽を検証

 06年2月、「分裂にっぽん」の連載が朝日新聞で始まった。格差はどこにでもあり悪いことではない、と小泉元首相が国会で発言した直後である。政権誕生から5年近くを経ても、なお人気が高かった小泉改革の影を抉(えぐ)り出す企画には、社内でも異論が多かったという。そうした逆風に抗して、本書の取材班が真っ先に足を運んだのは戦後日本経済の奇跡を生み、社会の安定を支えてきた中流層の崩壊現場だった。まかり通る格差肯定論の真偽を検証し、日本の分裂と二極化し始めた階層の固定化に歯止めをかけることこそ、「新聞記者の本分」と直感したからである。
 資本主義の歴史を紐解(ひもと)けば明らかなように、政府が公的な保障や規制を講じて高齢者や障害者などの弱者、および労働者の権利確保に努めてきたのは、際限なく利潤を求める資本の論理から人々の生活を守るためであり、企業の競争力を削(そ)ぐためではなかった。その成果として誕生した「分厚い中流層」が、戦後日本においても「情緒豊かで平和な社会」を支えてきたのではないだろうか。
 ケインズ研究で有名な経済学者の伊東光晴氏によれば、政策評価で重要なことは「観念よりも事実である」。その言葉通り、取材班は日本だけではなく世界中で進行している「分裂」の現場に直接出向き、取材を重ね、多くの事実を発掘することによって、強者の富はいずれ貧しい弱者に滴り落ちるという観念的なトリクルダウン説への反証を試みたのである。
 連載時の編集局長だった外岡秀俊氏が本書のはじめで指摘するように、「この本に、『格差』拡大への最終処方箋(せん)が書かれているわけではない」。しかし、「まず現場に向かえ」というジャーナリストの「鉄則」に徹した取材の結晶が、日本社会の実態を知る「最新の診断書」であることは間違いない。小泉政権時代には想像できなかった格差問題への関心の高まりを見ていると、当時の連載を興奮しながら読んでいた評者より、読み過ごした読者のほうがずっと現実感をもって本書を読めるかもしれない。
 評・高橋伸彰(立命館大学教授)
   *
 朝日新聞社・1470円 06年2月から07年4月まで朝日新聞で連載したシリーズに加筆、再構成した。

2017年10月5日木曜日

チョコレートの真実 [著]キャロル・オフ

■今も強制労働の「苦い」現実

 本書の原題は『苦い(ビター)チョコレート』。チョコレート産業の背後で今日なおなくなっていない強制労働が、本書を貫くテーマである。
 オルメカ文明の昔から説き起こし、カカオに映し出された植民地主義の歴史を概観して、強制労働によって供給される安価なカカオに依存しつつ、その事実を粉飾し続ける欧米の巨大食品企業の偽善へと話は進む。ハーシー社や〈M&M〉のマーズ社など、おなじみのブランドの起源にも触れられていて、問題の身近さに気づかされる。
 圧巻は、コートジボワールを中心とした著者のルポ。同国ではカカオ農園向け労働力として児童の人身売買が横行しているという。巨大企業の搾取と腐敗した政府、問題の構図は古典的だが、暗殺の危険も大げさではないなか、テレビジャーナリストの著者が文字通り命がけで敢行した取材は、映画のような緊迫感で読む者に迫る。カカオ利権が、国家の破綻(はたん)を背景に、内戦や集団虐殺といった陰惨な暴力の連鎖と絡み合っていく一方で、最終章に語られるフェアトレードのような取り組みが(問題を抱えつつも)広がりつつあるところに、この古典的テーマの現代的状況があると言えよう。
 山下範久(立命館大学准教授)
     *
 北村陽子訳、英治出版・1890円

2017年10月4日水曜日

露探―日露戦争期のメディアと国民意識 [著]奥武則

■「ロシアのスパイ」の実像とは

 「露探(ろたん)」とは日露戦争の時代に、敵国ロシアのスパイとみなされた人のことである。本書によれば、この当時「露探」として告発され排撃された人は、全国で相当な数に上るようだ。ただし実際に軍機保護法違反で捕まり有罪となった例は、少数だったという。
 「露探」の中で最も有名なのが、秋山定輔の事件である。「露探」の嫌疑をかけられたことで、秋山は衆議院議員の辞職を余儀なくされ、彼が社長であった『二六新報(にろくしんぽう)』紙は発行禁止となった。この事件の背後には秋山と桂内閣との対立や、秋山の「露探」疑惑を書き立てた『万朝報(よろずちょうほう)』紙との競争があったという。そしてこの事例を含め「露探」事件には、権力やジャーナリズムが率先して作り出したケースがあった。
 また「露探」の発生には、隣人の中から「露探」を摘発しようとする国民の存在も無視できない。著者は国民の意識の底に、大国ロシアへの根深い恐怖心が潜んでいたと見ている。
 「露探」の多くは事実無根だったとはいえ、本書はそれを一括して幻想とは断定していない。それは冷静な事実究明こそ非合理なナショナリズムの跳梁(ちょうりょう)に対処する道だとする、著者の立場を示すものといえよう。
 赤澤史朗(立命館大学教授)
     *
 中央公論新社・1995円

2017年10月3日火曜日

ザ・ニューリッチ アメリカ新富裕層の知られざる実態 ロバート・フランク著

 若き金持ちたちの動向追う

 アメリカの資産100万ドル以上の世帯は、95年から03年までで倍増し、800万世帯を突破した。ただ金持ちなだけでなく、独自の価値観に従って生きる若き億万長者を、著者は金持ち国に住む「リッチスタン人」と呼ぶ。
 家庭で采配を振るうプロの「執事」を雇い、最高級ホテルも見劣りする邸宅に住む彼らの生活は庶民感覚とはかけ離れており、正直言ってどうでもいい。
 興味深いのは、彼らの政治的スタンスだ。資産1千万ドルまでのロウアー・リッチスタン人の多くは「自分たちの経済状態を良くしてくれそう」という理由で保守的だが、それ以上のクラスになると、もはや自分の財産を守る必要もないため環境、医療、教育など社会問題に関心が向き、リベラル派が増えるのだという。守銭奴であり続けるよりはマシだが、自分が十分にリッチにならないと弱い人たちに目が向かない、というのはなんとも皮肉な話。また、あまりの格差の広がりに、アメリカ国民全体の幸福感は低下しているという説もある。著者は彼らが「自分たちのお金は授かり物ではなく責任だと気づくはず」と言うが、日本のリッチスタン人たちを見ていても残念ながらとてもそうは思えない。
 香山リカ(精神科医)
     *
飯岡美紀訳、ダイヤモンド社・2100円

2017年10月2日月曜日

シャンパン歴史物語 その栄光と受難 ドン&ペティ・クラドストラップ著

 CHAMPAGNE

 ブドウに殉じた人々の苦難の象徴

 現在日本のワイン業界は、ちょっとしたシャンパンブームに沸いている。ただの発泡性ワインではない本物の「シャンパーニュ」ブームだ。ここ10年ほどワイン全体の消費量が横ばいのなか、シャンパンの輸入量は3倍。みんな大好き、シャンパン。ミーハーな私は、恥ずかしながらウンチクの仕込みのつもりで本書を手に取った。そして打ちのめされた。
 シャンパン(フランス語風に書けばシャンパーニュ)とは、フランス北東部のシャンパーニュ地方で造られる発泡性のワインであり、その名を称するにあたっては厳格な規制がある。高校で世界史をマジメに勉強した人なら、この地名を中世の商業上の要地として覚えておいでであろう。「シャンパーニュの大市」である。その頃のシャンパーニュのワインに泡はなく、大市で商われることもなかった。そこからいわゆるシャンパンが定着し、ナポレオンがモエのシャンパンを愛飲するあたりまでは、シャンパーニュにまつわる歴史ウンチクのオンパレードだ。
 しかし次第に話は深刻になってくる。偽シャンパン問題(市場の発達にともなって、外部の安価な原料を使い、粗悪品を濫造(らんぞう)して輸出する構図は今日の食品偽装問題と同形である)、シャンパーニュの地理的な線引きを巡る内乱寸前の混乱、そして戦争である。
 そもそも商業上の要地であるということは、交通の要衝でもあり、シャンパーニュはローマ時代の昔から戦争の色の濃い土地であった。だが、近代以降の戦争、すなわち普仏戦争と2度の世界大戦(特に第1次大戦)は、この地を徹底的にたたきのめした。文字通り戦場となったこの地で、爆弾の雨が降り、塹壕(ざんごう)に切り刻まれるなか、シャンパンを守ることは、おのが生業を守ることであり、父祖伝来の土地を守ることであり、そしてまたシャンパンという象徴を守ることであった。そこにフランス・ナショナリズムのにおいを嗅(か)ぎつけるのはたやすいが、いわばブドウに殉じたひとびとの生きざまは、それを超えて胸をうつ。
 なめらかな訳文にも脱帽。
 評・山下範久(立命館大学准教授)
    *
 平田紀之訳、白水社・2730円/Don & Petie Kladstrup アメリカ人ジャーナリスト夫妻。

2017年10月1日日曜日

外国人犯罪者 岩男壽美子著 受刑者らを調査、浮かび上がる実像

 多文化共生といえば聞こえがよいが、その実態は和気藹々(あいあい)とした「きれいごと」の世界ばかりではない。現在、東京の留置場に収容されている3割が外国人であるというのが、悲しい現実である。
 それでは、彼らはなぜ、犯罪者となったのか? そして、罪を犯したことをどう考えているのか? この問題を考えなければ、必要以上に外国人を拒むことになり、多文化共生は実現しない。
 著者は、長年、異文化コミュニケーションを研究し、治安維持にもかかわった。本書は、全国の刑務所の受刑者に大規模な調査を行い、日本人と外国人、男性と女性、犯罪者と一般人を比較した。世界でも類を見ない本である。
 まず、外国人犯罪者の来日目的をみると、「金を儲(もう)ける」が、最も多い。正規旅券で入国した者もブローカーに数百万円を支払っている場合が多く、滞在期限を過ぎても、その借金を返せないで不法滞在を続けたり、犯罪に手を染めるケースがある。
 そして、外国人受刑者に日本で自分と同じ罪を犯した人が捕まる確率を尋ねると、男子の半数、女子の6割が25%以下と低く考えていた。その背景には、本国で同じ罪を犯しても、捕まる確率が低いと思っていることがある。
 また犯罪を起こしたことについて、外国人受刑者は日本人よりも貧困や教育など社会的要因を挙げる者が多く、被害者の痛みに対する共感も薄い。特に、中国人受刑者の6割が「被害者のことを考えたことがない」と答えている。
 さらに、刑務所での生活について、中国人は食事の量、欧米人は自由時間、中南米出身者は家族との連絡が思う通りに行かないことに、不満を持っており、男子の8割が本国での服役を望んでいる。
 こうした調査結果に基づいて、著者は警察が逮捕した不法滞在者の速やかな強制退去、入国の事前審査中心から入国後の的確な事後チェックへの移行、受刑者の本国への移送推進、検挙率の向上などを提言としてあげる。多文化共生と安心安全な暮らしの両立を考える上で、本書は豊富で貴重なデータを提供する。
 評・小林良彰(慶応大学教授)
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 中公新書・819円/いわお・すみこ 35年生まれ。慶応大名誉教授。著書に『おんなの知恵』など。

2017年9月30日土曜日

自衛隊裏物語 後藤一信著 24万人の実態、赤裸々に

 現在の憲法改正論議の核心は、自衛隊を「自衛軍」とするか否かに集約されると言える。しかし私たちはそもそも、24万人もの隊員を抱える自衛隊の実態をほとんど知らないのではないか。
 そういう人は、長年の“自衛隊マニア”とも言える著者が愛を込めつつも、ときには赤裸々にときにはユーモラスにその実態を記した本書を読んで、少なからず驚くであろう。何せ、ほとんどの自衛隊員の関心は国防にはなく、「一般隊員ではギャンブルと酒と女、幹部では自分の出世と老後の安泰」だと言うのだから。しかも、自由も逃げ場もない絶対階級社会の中で常にストレスにさらされ、心を病み、自殺や自傷行為に走る隊員もいる。
 「彼らは、自衛隊員である前に、私たちと同じ日本人だ」と主張する著者は、自衛隊も一般社会の縮図なのだから、こういった問題が発生するのもある意味で必然だとする。たしかにその通りであるし、訓練ばかりで実戦もなく「自分が何者かもわからない」状態に陥る職業というのは、ある意味で気の毒であることは確か。とはいえ、ただ笑ってすませるわけにもいかない。マジメな憲法論議の前に一読してみてはいかがだろう。
 香山リカ(精神科医)
     *
 バジリコ・1260円

2017年9月29日金曜日

年金問題の正しい考え方 盛山和夫著 制度への誤解、解き明かす

 著者によれば、日本の年金には、政治家の未納や社保庁の無駄遣い、納付記録消失より、もっと根本的な構造的問題があるという。
 その問題とは、年金の賦課方式でも少子高齢化でもなく、福祉元年と呼ばれた1973年の年金制度改正に起因する。大盤振る舞いで拠出と受給のバランスがとれなくなり、経済成長が続かなければ持続困難な仕組みになった、と指摘する。
 これに対し、2004年の改正では、経済成長に合わせて保険料収入の伸びを確保しつつ支給額の伸びを抑える調整方式を導入し、法改正しなくても支給水準を下げることが可能になった。著者は、この導入を評価しつつも、収支バランスを保つためには、より厳しい調整率が必要という。
 また、年金財源を消費税でまかなう方式は、消費税分を価格に転嫁できる企業にとっては負担が軽減される反面、給与所得者ら個人には保険料支払いを上回る消費税負担がのしかかることを明らかにする。
 年金問題をめぐる様々な誤った情報や誤解を一つひとつ解き明かし、客観的事実に基づきながら持続可能で公平な年金制度を構築するべきだという著者の主張は、傾聴に値する。
 小林良彰(慶応大学教授)
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 中公新書・903円

2017年9月28日木曜日

路地裏の社会史 木村和世著 生涯を捧げ「社会悪」報じた労農記者

 「社会悪の報告」に生涯を捧(ささ)げた新聞記者がいた。最初の労農記者と呼ばれた大阪毎日新聞の村嶋歸之(よりゆき)である。彼の著述、さらには社会運動家で盟友でもあった賀川豊彦らの言動などから、村嶋の業績を再評価する研究書である。
 村嶋は衆院議員の父の元で育ち、早稲田大政治経済学科を経て、大正4(1915)年に大阪毎日に入る。社会の底辺で暮らす人々に関心を寄せ、大正6年、連載「ドン底生活」で注目を集める。
 他の下層社会に関係する記事の多くが好奇心から社会の「裏面」を捉(とら)えたのに対し、村嶋は統計資料に現場で重ねた聞き書きを加え、そこに等身大の生活を描き出した。賀川は、「人生の暗黒」を報告しながら、まず村嶋自身が泣いていたと人柄を評価した。
 翌大正7年の連載「見よ!! このダークサイドを」では、社会に潜む悪に破邪の剣を振るう。「偽孤児院」の回は、浮浪児や感化院を脱走した子を雇い、孤児と偽って薬や化粧品の行商をさせた慈善団体を批判する。また、著書などでカフェの女給にも注目した。華やかさの内部に織り込まれた「人間苦の諸相」を世に伝えたい思いがあった。
 村嶋は労働争議にも深くかかわる。大正8年、賃上げを要求する川崎造船所の労働者1万6千人が、前例のない大規模なサボタージュを行った。村嶋はこの時、戦術を教示するいっぽうで、その内実のスクープもものにした。米の急進的労組の冊子からサボタージュを知って「同盟怠業」と訳出したという村嶋は、運動を導く知識人とジャーナリストの両面から、争議と向き合ったわけだ。
 村嶋は戦時下でも揺らぐことなくリベラリストを通し、晩年まで「報告者」という役まわりにこだわり続けた。彼の生き様と信念に共感を覚えつつ、一気に読了した。
 正義感の強い若者が、日々の不安を抱えて生きる人々に寄り添い、世の矛盾と対峙(たいじ)するなかで社会事業の実践者となる。研究書でありながら、大正デモクラシーを背景に活動を始めた社会派ジャーナリストが、成長を果たす物語として読むこともできる。
 評・橋爪紳也(大阪市立大学教授)
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 昭和堂・3150円/きむら・かずよ 神戸大などで非常勤講師を務める。共著に『日本社会福祉人物史』。

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