2017年3月26日日曜日

ウイダーの副王 [著] ブルース・チャトウィン

■波乱にみちた奴隷商人の生涯

 19世紀初頭のアフリカ西部ダホメー王国の奴隷積み出し港ウイダーに、ブラジルから一人の奴隷商人がやってきた。王に捕らえられ、不吉な白い肌を黒く染めるためインディゴ(青藍)の樽(たる)に漬けられた男は、救出してくれた王子のクーデターを支援して特権的な地位を得、「西アフリカで最も富裕な男」になったのだが——。ダホメーの、またヨーロッパの伝承がこのように伝える歴史上の人物に材をとった本作は、1980年に刊行されたブルース・チャトウィン二作目の小説。
 1970年代、社会主義を掲げていたベナン人民共和国時代のウイダーで、フランシスコ・マノエル・ダ・シルヴァの一族が追悼式典を行う場面から話は始まる。土地の人々と結ばれて子孫が増え、事実上アフリカ人となっても、かれらはブラジルを祖先の地として心に抱きつづけている。ジジジと回るセピア色のフィルムが鮮やかな原色を映し出して見る者を驚かすように、細部の描写がなによりつよい印象を残す。かれらの肌色や手指や髪のかたち、豪華だが荒廃した邸宅、衣装や車や建築の色と手触り。肖像画や遺物の数々が、波乱にみちた一族の物語を誘導する。
 ダホメー王の残虐ぶり、奴隷商人の冷酷さ、互いを利用し裏切る各国政府や商人たちの確執は、事実(物語上の)に即して、淡々と述べられる。感情の波はむしろ、ブラジルへの帰還や出世の約束が果たされず、着ることのない夜会衣装や必要のない懐中時計のコレクションをひとり見つめる胸に逆巻くのだ。
 眩惑(げんわく)的なほど華やかだが緻密(ちみつ)で簡明な文章。読み終えた手元を見て、思いのほか短い本であることに驚く。西アフリカとブラジルを自ら行き来する訳者による巻末解説は、複数の民・複数の土地が交錯する物語の背景、史実とフィクションの境目、奴隷制の実態、さらには現在の観光地ウイダーにも及び、秀逸だ。
    ◇
 旦敬介訳、みすず書房・3672円/Bruce Chatwin 1940〜89年。『パタゴニア』『ソングライン』など。

2017年3月25日土曜日

女装して、一年間暮らしてみました。 [著]クリスチャン・ザイデル

■性の自由、喜びと困難を追体験

 本書は、1人の男性が「女性性を着る」物語であり、同時に「男性性を脱ぐ」物語でもある。風邪をひきやすい体質の著者が、寒さ対策にと女性用ストッキングを購入したことをきっかけに、女装を極めていくユーモラスな体験記。著者は、女性服のレパートリーの多さに驚き、男性服のレパートリーの少なさを発見する。そして、男性性の窮屈さを自覚し、性から自由であることの喜びと困難を知る。
 女装した「彼女」が街を歩いていると、売春をもちかけられ、胸を触られ、つばを吐きかけられ、罵声を浴びる。多数の好奇なまなざしを浴び、家族からの非難を受ける。多くの仲間を手に入れるが、多くの敵意も向けられる。あらゆる話を、「セックスの話」に結びつけられる。これらは、現に多くの性的少数者が受けている攻撃と重なる。本書を通じて読者は、自由と差別を追体験する。その後、どちらに憧れるべきか。答えはすぐわかる。
    ◇
 長谷川圭訳、サンマーク出版・1728円

2017年3月24日金曜日

スタニスワフ・レム コレクション 短篇ベスト10 [著] スタニスワフ・レム

■SFをダシに哲学、今も新鮮

 スタニスワフ・レムは、いろいろな顔をもつ作家だ。映画化された長編『ソラリス』のように知性とは何かを追求したり、情報と生命はどこが違うのかを真っ向から扱ったり、自我意識の虚構性をあっさりと料理してみせたり、機械化が進んだ星での精神世界のありかたをユーモアたっぷりに描いたり。実に多彩。
 この『短篇ベスト10』は、レムの間口の広さと奥行きの深さをカバーしていて、レム入門にも、改めてレムを見直すにもとても便利な一冊だ。原書は読者による人気投票をもとに、批評家と著者自身によるチョイスも加えて編まれたものという。
 いわゆるSFではあるけれど、どの作品も科学技術の細部が前面に出てくるタイプではない。科学技術がとことん進歩したら人間や世界はどうなってしまうのか、想像力と博覧強記をフル回転させて全体のパターンを哲学的に描くのが彼のスタイルだ。科学技術をダシにして哲学する、とでも言えようか。レムの哲学好きは筋金入りで、彼自身、ウィーン学団の論理実証主義から大きな影響を受けたと述懐している。
 この作戦がうまくはまると、時代を超越した思考が生き生きと羽ばたき出す(一方で作品世界のリアリティーは損なわれるが、これはいたしかたあるまい)。レムの哲学的関心については大学1年生向けなどと揶揄(やゆ)されることもあるが、むしろその本質を突いた単純さゆえに、新鮮さを失わないのではないか。
 本書収録の作品は60年代に書かれたものが多いが、詩を作る人工知能が引き起こす悲喜劇や、人間と機械の融合が進んで宗教の意味が一変してしまった社会の描写など、コンピューターが人間の能力を凌駕(りょうが)しつつある今こそ論じられるべき問題だと思う。
 原作は難解とされるポーランド語。見事な日本語に翻訳した訳者たちの力量と苦労には、心から賛辞を呈したい。
    ◇
 沼野充義、関口時正、久山宏一、芝田文乃訳、国書刊行会・2592円/Stanislaw Lem 1921〜06年。作家。

2017年3月23日木曜日

透明人間は204号室の夢を見る [著] 奥田亜希子

 主人公の実緒は孤独な作家。小説が書けない。友達がいない。「どうせ誰も自分を見ない」。透明人間になった自分を、実緒は繰り返し夢想する。
 空想の中で訪ねるのは、いつも204号室。そこに住む男性が、かつて自分が書いた本を、書店で手に取ってくれたから。ところが男性の恋人と知り合い、実緒の世界は動き出す。友人を得た喜び、男性への思い。生きることそのものへの渇望のような、素朴な感情の揺れがせつない。
 やがて事件が訪れ、実緒は立ちつくす。誰が自分を見てくれるのか。誰に向けて書けばいいのか。たどり着く結末は、著者自身の自問の末の決意のようにも読めて、深い余韻を残す。
    ◇
集英社・1404円

2017年3月22日水曜日

歩道橋の魔術師 [著]呉明益

■響き合う人生と都市の回想

 台湾の台北にはかつて中華商場というショッピングモールが存在した。一九六一年に完工、八棟の建物に千軒以上の商店があり、にぎわった。九二年に全棟が解体されたが、いまもなお当時を知る人々の記憶に残る場所だ。
 呉明益『歩道橋の魔術師』は、中華商場を舞台とする連作短編集。各編の語り手が、中華商場で過ごした日々を語る。棟と棟を繋(つな)ぐ歩道橋でマジックを見せて商売をしていた魔術師を、覚えている人もいれば、記憶していない人もいる。中華商場の回想は必ず、語り手の現在と響き合う。現在と過去の間に言葉の歩道橋がかけられていく。
 恋や事件、家族の問題、不慮の死、失踪、子どもたちの希望と失望、それでも続く生活。読み進めるうちに、中華商場が自分の中に築かれていく感覚がある。九十九階を示すエレベーターのボタン、〈元祖はここだけ 具なし麺〉という店、鍵屋、眼鏡屋、街娼(がいしょう)。夜の闇を飾る色とりどりのネオンサインが胸に染みる。まさに都市そのものが主人公であるような小説。
 ゾウの着ぐるみを着て風船を配るバイトをした経験を語る男。ある日、バイト中に彼女が通りかかる。その背中が見える。「ぼくは、彼女の名を呼ぼうとした。でもはたと、今、自分はゾウなのだと思い出した。ゾウは人間の言葉を使って、誰かの名前を叫ぶだろうか?」。ためらううちに信号が青に変わり、彼女は横断歩道を渡って消える。たとえば関係の亀裂や時の流れを、著者はそんなふうに繊細に描いてみせる。
 人生や都市の暗部を簡潔で静かな筆致によって浮かび上がらせる著者の小説は、台北・中華商場という固有の場をこまやかに切り取るものでありながら、同時に、どんな都市にも通じる感情を湛(たた)えている。淡々とした語り口に、親しみのもてる短編集。言語の違いを超えて、読書の喜びを確かにもたらす作品だ。
    ◇
 天野健太郎訳、白水社・2268円/ご・めいえき Wu Ming−Yi 71年台湾生まれ。作家。邦訳は本書が初。

2017年3月21日火曜日

女たち三百人の裏切りの書 [著]古川日出男

■改竄された「源氏」、「現代」映す物語の妙

 王朝物語の最高傑作として読み継がれてきた『源氏物語』に古川日出男が挑む。小説『女たち三百人の裏切りの書』の舞台は、平安時代後半から院政期にかけての時代だ。紫式部が『源氏物語』を書いたころからは百余年が経過している。登場人物たちは『源氏物語』との縁を生き、紫式部の怨霊に翻弄(ほんろう)され、物語の力を知る。
 ある日。紫苑(しおん)の君は病の床に伏す。そばには麗景殿(れいけいでん)の女房ちどりと、病の原因である物(もの)の怪(け)を移すための人間、つまり憑坐(よりまし)の少女うすきが侍(はべ)る。護摩が焚(た)かれ、阿闍梨(あじゃり)の祈祷が続く。そこへ紫苑の君を愛する三位中将建明が登場。物の怪は、自分は紫式部だと名乗る。小説はここからはじまる。
 紫式部の怨霊は、いま流布する『源氏物語』は改竄(かいざん)されたものだと告げる。そして、五十四帖のうち最後の十帖、光源氏がこの世を去った後の物語「宇治十帖」が本当はどういう物語なのかを語る。小説を読み進めるうちにこれらは愛ゆえに仕組まれたことだとわかる。けれど、小説が動き出すのはそこからだ。仕組まれた線を越えて、人々の現実が展開する。
 先に触れたように、この小説の舞台となる時代は武家が力を持ちはじめる時代。その「現代」を取り入れる『源氏物語』として、公家以外の人々の動向を含んで展開するところに、ひろがりと臨場感がある。西海の海賊衆を統べる人神・由見丸。山陰の沖の島で生き、南都の大寺院に武力を提供する蝦夷(えみし)の末裔(まつえい)たち。黄金や奥州の馬を商う商人・金屋犬百。平氏、そして源氏。両者のあいだにあって盛衰を眺める藤氏(とうし)。著者が、小説の舞台をあえて紫式部のころから百余年経った時期に設定した意味も、見えてくる。
 思いがけない関係の糸、裏切りの糸が錯綜(さくそう)して、物語の内にも外にも、新たな物語を生んでいく。紫式部の怨霊が三人になり、それぞれの怨霊が語る「宇治十帖」、つまり複数の筋が巷間(こうかん)に流布しはじめる。ついには物語に出てくる「早蕨(さわらび)の刀」の実物までもが出現。人々は物語を生きる。
 原典が尊重されるとは限らなかった時代、物語は、筆写によって広まる中で、書き換えられたり、書き継がれたりした。そうした行為も享受の方法と楽しみに数えられた。物事の「説明」には常に「間隙(かんげき)」がある。「単に語られていないだけ」のことが含まれているのだ。そこを「隙見」するなら「物語の不思議に触れる」ことができる。著者は、物語に備わるそんな性質を見据える。『源氏物語』を享受する人々とその時代を描きながら、同時に「宇治十帖」の読みに挑戦し、従来にない方向から光を当てた大胆な力作。紫式部も驚くに違いない。
    ◇
 新潮社・2700円/ふるかわ・ひでお 66年生まれ。作家。『アラビアの夜の種族』で日本推理作家協会賞と日本SF大賞。『LOVE』で三島由紀夫賞。『ベルカ、吠(ほ)えないのか?』『聖家族』『冬眠する熊に添い寝してごらん』など。

2017年3月20日月曜日

紙の動物園 [著]ケン・リュウ

■未来と郷愁と生の意味を紡ぐ

 話題のSF作家による短編集。つよいノスタルジアの感覚が、巧みなプロットの15編を包んでいる。
 表題作「紙の動物園」に、SFエンターテインメントを期待する読者は戸惑うかもしれない。英語がへたな中国人移民の母がつくってくれた、生きて動く折り紙の話だ。アメリカ人として生きるため母を疎んじた息子の前で、紙の老虎が再び動き出す。
 つづく「もののあはれ」は宇宙船の危機を日本人主人公が救う話だし、「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」では人類のほとんどが意識だけになって、データセンターにアップロードされている。だがこうしたいわゆるSFらしい設定は、世界各地の神話や伝統文化、そして現代社会の諸問題と結びつけられ、寓話(ぐうわ)的な奥行きをストーリーに与えている。
 たとえば「結縄(けつじょう)」ではアメリカの科学者が、縄の結び目で記録を残す古代の技に長(た)けたある民族の老人を、たんぱく質の構造研究に利用する。お礼は収穫量は多いが翌年は発芽しない、遺伝子組み換えの種籾(たねもみ)。古い米の遺伝子、螺旋(らせん)状に縒(よ)りあわされた古(いにしえ)の結縄は、忘れられ失われていく。
 異なる文化・信条に葛藤する親子が、時空を超え繰り返し登場する。漢字や中医学、台湾や日本との歴史的関係、合衆国の反共政策も重要なモチーフ。著者は11歳で中国甘粛省から米カリフォルニアへ家族で移住したという。郷愁の源は祖先の国とのつながりか、未来の物語それ自体が懐かしい過去を欲するのか。
 「月へ」では亡命申請中の中国人男性の娘が、新米弁護士に、こういう。「大きくなったら、あなたみたいになりたいな。生きていくためにお話をするの」。暗黒の世界/宇宙へ向けて、物語る人はことばの網を投げかけ、人々が生き延びるのに必要な意味を紡ぎ出す。人の生存には水や食べ物や科学だけではなく、物語が必要だから。
    ◇
 古沢嘉通編・訳、早川書房・2052円/Ken Liu 76年中国生まれ。米国の作家。ヒューゴー賞など受賞。

2017年3月19日日曜日

涙のあとは乾く [著]キャサリン・ジェーン・フィッシャー

 横須賀の米軍基地近くのバーでボーイフレンドを待っていたオーストラリア人女性は、見知らぬ米兵に「クスリを盛られ」、駐車場でレイプされる。迅速に証拠を採取することもしない「無神経な警察官たち」。理由は明かされないまま、不起訴になった犯人。彼女の起こした民事訴訟の途中で犯人は米国に帰国し、行方が知れない。自らの身に起こった「不正義」にどう立ち向かうか。これは、レイプ被害者本人が名前を明かして記録した勇気あるノンフィクションだ。
 米兵による事件は後を絶たない。精神的にも経済的にも追い詰められながら、正義の実現を求め続けた彼女の戦いから目をそらしてはいけないと強く感じた。
    ◇
 井上里訳、講談社・1728円

2017年3月18日土曜日

ティーンズ・エッジ・ロックンロール [著]熊谷達也

 『リアスの子』『微睡(まどろ)みの海』で宮城県気仙沼市をモデルにした仙河海(せんがうみ)市を舞台に、東日本大震災以前の日常を描いてきた著者の最新作。同じ港町で夢を追う少年少女の青春がまぶしい。
 友人と始めたバンドを解散した16歳のギタリスト庄司匠。高校の軽音楽部で出会った二つ上の先輩・宮藤遥が気になって仕方ない。どこか近寄りがたいが魅力的な彼女に刺激され、「この街に足りないもの」を自分たちで創ることに決めて……。
 ライブでの高揚や不器用な恋愛。気さくな大人たちに見守られて過ごすさわやかな毎日を終盤、大津波が襲う。変わり果てた風景を前に、2人が交わす何げない会話が胸を打つ。
    ◇
 実業之日本社・1836円

2017年3月17日金曜日

S,M,L,XL+ [著]レム・コールハース

■まるでSF小説、挑発的な建築論

 世界的に活躍する建築家の主著がついに邦訳された。背表紙の厚さが約8センチに及ぶ巨大な原著は辞書のような作品集であり、文字と図版の組み合わせも斬新。モノとしてカッコいいために、どこのデザイン系の事務所に行ってもこの本があった。が、著者はすぐれた書き手でもある。かつてル・コルビュジエが膨大な著作を通じてモダニズムの理念を広げたように、20世紀末以降、コールハースの論考が大きな影響を及ぼしている。
 現在、グローバル都市やショッピングモールの商業空間を論じることは珍しくなくなったが、いち早く目をつけたのは彼だろう。獰猛(どうもう)な資本主義が空間をいかに変容させるか。従来の良識的な建築家はそれを非人間的だと批判し、懐古的になるのに対し、コールハースはあえて否定せず、むしろそれがもたらす新しい現実を直視し、挑発的な建築・都市論を提示する。
 さて、今回の邦訳は、著者の意向からいきなり文庫として出版された。原著『S、M、L、XL』の装丁を維持した日本語版は困難と判断し、コールハースお気に入りの日本のコンパクトな本の形式を選び、図版を外して、文章中心の本に変えたという。すなわち、XLの原著からSサイズの文庫版である。その際、原著以降の主要な論考を幾つか加え、思想家としての彼に焦点を当てた。邦訳された文章を通読すると、都市の観察と調査にもとづくノンフィクションでありながら、巧みな表現によって、SF小説を読んでいるような気分になる。建築が巨大化すると今までのデザイン手法が無効になるという「ビッグネス」、歴史保存と解体が同時進行する「クロノカオス」ほか、「ジェネリック・シティ」、「ジャンクスペース」など、新しい概念を示す言葉や造語も豊富だ。
 シンガポール、ドバイ、ラゴス、アトランタ、そして東京など、急激な都市化や開発が続く場所、あるいはスマートシティ、ソビエトやベルリンの壁などに出現した人工的な空間をとりあげ、彼は「建築家」の終焉(しゅうえん)や近代的な都市計画の不可能性を指摘する。
 本書はユートピア的な都市計画を提案したメタボリズムの建築運動に言及しているが、最近、その中心メンバーである黒川紀章の伝記『メディア・モンスター』も刊行された。日本でもっとも有名だった建築家の知られざるエピソードも拾いながら、ていねいにまとめた労作である。彼がメディアを利用し、晩年まで建築家として本気で東京を改造しようとしたことがうかがえるだろう。だが、もはや一人のスター建築家が巨大都市を計画することは不可能だった。ここに両者の認識の違いがある。コールハースは建築家もさらに変容する未来を見据えている。
    ◇
 太田佳代子・渡辺佐智江訳、ちくま学芸文庫・1512円/Rem Koolhaas 44年オランダ生まれ。脚本家、ジャーナリストを経て建築家に。プリツカー賞、世界文化賞などを受賞。『錯乱のニューヨーク』など/『メディア・モンスター』は曲沼美恵著、草思社、2916円。

2017年3月16日木曜日

世界“笑いのツボ”探し [著]ピーター・マグロウ、ジョエル・ワーナー

■様々な笑い、根本は万国共通

 笑いとは何か? 常日頃から興味があったが、いまだに明解な答えはないらしい。この謎を少々偏屈な2人の米国人が解き明かそうと試みた。理論派で行動経済学が専門の大学教師と、暗い事件が嫌いなジャーナリストである。
 最初に閃(ひらめ)いたのが「無害な逸脱」理論だという。ぼくが最も気になっていた「くすぐり」という不意を突いた侵害行為も、その理論で説明できそうだ。見知らぬ人からくすぐられたら笑うどころではないが、仲のよい知人のものなら無害な逸脱なので笑える、と。だがこの理論はユーモア研究の権威から批判されたという。そこで著者の一人が証明すべく、あるクラブのステージに立ったのだが……。
 笑いは、思考実験だけで解明できるほど単純ではなかった。失意の著者2人は研究所を飛び出し、タンザニアなど世界各地にフィールドワークの旅に出る。米国のお笑い芸の華、スタンダップ(一人漫談)は演者と観客との駆け引きで勝負が決まる笑いの修羅場ともいえるが、話術が主の笑いの世界は、言葉の壁が厚い。ぼくもその面白さを知りたいのだが、全く笑えない。スラング連発の米国ジョークは翻訳が不可能なのだ。
 日本の大阪へも足を延ばした。だが案の定、言葉の壁、文化の壁に戸惑う。落語は眠くなるばかり。日本の商業的な笑いは異質と思ったが、大阪の居酒屋で体験した言葉を超えた飲みニケーションや東京で見た芸から、人間の根本的な笑いは万国共通と学ぶ。
 おまじないや呪術はある共同体の中でしか有効ではないが、人間関係を潤すジョークも世界標準(グローバルスタンダード)はなさそうだ。だから彼らの探訪はスムーズに行かず、探訪自体がコメディーに思えてくる。笑いを相対性理論のように理論化することは到底不可能だが、本書には興味深い社会学・人類学的考察も多い。各地の「笑い」の哲人が披露する持論は面白く、ぼくには収穫である。
    ◇
 柴田さとみ訳、CCCメディアハウス・2376円/Peter McGraw 米コロラド大学准教授、Joel Warner。

2017年3月15日水曜日

イザベルにーある曼荼羅 [著]アントニオ・タブッキ

■うつろう時の流れに棹さす写真

 2012年に他界したタブッキのたくらみに満ちた遺作。どこに反応するかは人それぞれだろう。『レクイエム』との重なりにうなずく人、文学的引用を絡めつつリスボン、マカオ、スイスと主人公が移動するさまにひざを乗り出す人。刺激されるツボが異なるところに、現実のとらえどころのなさを主題に書き続けたタブッキ作品の特異な魅力が感じられる。
 昔知っていたイザベルという女の消息をある男が尋ね歩く。彼とイザベルとの関係は分からないが、彼女の姿は様々な人の語りにより明らかになっていく。寄宿学校の親友、親代わりを務めた老女、サクソフォン奏者の女友だち、刑務所の看守……。どうやら反ファシストの活動により投獄され、もうこの世にはいないらしい。
 一方、彼女を捜す主人公の素性は一向につかめない。どこから来たかと人に問われて彼はおおいぬ座と答える。これをジョークだと読み飛ばした私は、途中でそうではないと感づき、5話で写真家が登場したところで思わずあっと声を上げた。まさしくこここそ自分のツボだった。
 写真家は彼にイザベルの写真を持たせてポラロイドで撮影する。だが彼の姿だけが現れない。「どこ出身ですか?」と問われて彼は「明るすぎるところから来ました」と返す。ここから物語は「私」と「あなた」の境界が不明瞭な光あふれる領域に進入し、砂に描いた円に息が吹きかけられる最後のシーンでは、中心に置かれたイザベルの写真を残してすべてが消える。
 1996年に口述された後人に託され、11年、推敲(すいこう)のために作家の手に戻されたが、病に侵され未刊のまま亡くなった。変化しうつろう時間の流れに一瞬だけ棹(さお)を差し入れる写真の不思議さ。軽やかに移動した作家の遺作としてあまりに出来すぎなエンディングに、偶然の計らいとはいえ、頭がくらっとした。
    ◇
 和田忠彦訳、河出書房新社・2160円/Antonio Tabucchi/1943〜2012。現代イタリアの代表的作家。

2017年3月14日火曜日

夏の沈黙[著] ルネ・ナイト

 この本を帰りの電車で読み始めたら、降車駅を知らせる車内アナウンスがいまいましく感じられるかもしれない。そのくせ一刻も早く帰り着き、家族の無事を確認せずにはいられない。そんな、身近な家庭が追い詰められ崩壊していくミステリーだ。
 秘密にしておきたいある夏の出来事。それが何者かの手によって、20年の沈黙を破り、静かに動き出す。出来事の断片は寄せ集められ、一つの物語に仕立て上げられる。決して気持ちがいいとは言えないその物語は、最も知られたくない最愛の家族の元に本という形で届けられる。
 最後まで沈黙を貫いたのは誰なのか? ラストにやるせなさと希望の光が押し寄せる。
    ◇
 古賀弥生訳、東京創元社・1836円

2017年3月13日月曜日

古地図に憑かれた男ー史上最大の古地図盗難事件の真実 [著]マイケル・ブランディング

■空白地帯からの甘美な呼び声

 アメリカ人のエドワード・フォーブス・スマイリーは、コレクターに古地図を販売する業者だった。ところが実際は、図書館から古地図を盗み、正規のルートで入手したふりをして売りさばいていたのだ。彼は二〇〇五年に逮捕され、三年間服役した。
 本書は、スマイリーの栄光と転落を追ったノンフィクションだ。彼は古地図の目利きで研究熱心だったから、顧客や図書館員の信頼が厚かった。その信頼を、なぜ裏切ったのか。貴重な文化財であり美しい芸術品である古地図を、稀覯(きこう)本から切り取って盗む。そんなことを、なぜしでかしたのか。著者は本人や関係者への取材を重ねる。
 本書にはカラー図版が多数掲載されているので、古地図の美麗な装飾や、いま見るとおかしな大陸の形などを堪能できる。地図とは、まだ見ぬ土地への憧れの象徴であり、世界を認識し把握するためのツールであり、他者の土地を征服した証しでもあるのだ。
 ロマンと野心が詰まった古地図は、あやしい輝きを放ち、スマイリーを魅了した。愛と業が渦巻く古地図業界で、彼がやがて盗品販売へと至る軌跡は、息苦しいほどスリリングだ。地図に興味がなくてもぐいぐい読み進められるし、地図が持つ魔力を痛感させられる。
 地図上では、未踏の地は空白になっている。それと同様、ひとの心にも、言語では説明できない空白地帯がある。著者はその場所へ果敢に分け入り、なにかを熱烈に愛する心が罪を呼ぶという矛盾、大切な相手をときとして簡単に裏切れてしまう人間の不思議について、粘り強く思考をめぐらせる。
 スマイリーは、古地図という名の愛と欲に憑(つ)かれた。いったいだれが、彼の行いを他人事(ひとごと)だと言い切れるだろう。愛と欲に無縁のひと、空白地帯からの呼び声に甘美な響きをまったく感じないひとが、はたしているだろうか?
    ◇
 森夏樹訳、青土社・3888円/Michael Blanding ジャーナリスト。米ブランダイス大学調査報道研究所の研究員。

2017年3月12日日曜日

人は火山に何を見るのか 環境と記憶/歴史[著] 寺田匡宏

■読んで見つめる多様な社会

 副題の三語をキーワードに、著者の書評や映画評を集めた論集。単なる寄せ集めではなく、連作書評集とでも言うべき形式だ。
 「本を読む」という行為によって、人は広い意味での環境、つまり、周りの人たちや共同体や過去の歴史などとつながることになる。そこからぼくたちは何を記憶し、どのように歴史を紡ぎだし、どんな環境を作り出すのか。真摯(しんし)で深く、しかし温かい思考が立ちのぼってくる。
 舞台はベルリンから始まり、神戸やニューヨーク、アウシュヴィッツ、沖縄、プノンペンなどを巡り、テーマも人間と動物、震災、語り(ナラティヴ)、表現、身体、ホロコーストなどを論じていく。
 だが、慌ただしさも駆け足感もまったくないのは、著者の眼差(まなざ)しが、同じ問題をしっかりと見すえて、その上にとどまっているからだ。この優れた着眼と感性が、災害や突発事象でない、まったりとした日常をどのように語るのかも読んでみたいものだ。
    ◇
 昭和堂・2700円

2017年3月11日土曜日

界 [著]藤沢周

■人間の複雑怪奇、浮かび上がる

 例えば、「市民」という政治学の用語がある。男だろうが女だろうが市民は市民であり、そこに違いがあってはならないはずだ。
 しかし現実はより複雑である。この連作短編集は、男女の間に横たわる深淵(しんえん)を、絶妙な筆致で浮かび上がらせる。日本各地の謎めいた地名とともに語られる、齢(よわい)五十を過ぎた男の漂泊歴。佐渡の宿根木(しゅくねぎ)に近い床屋では日本海の波濤(はとう)を聴きながら理容師の女の剃刀(かみそり)に死の影を見いだし、愛知県の知立(ちりゅう)では夫から逃れてきた人妻と一晩をともにする。女からすれば身勝手な男のように映るだろう。だが、この榊(さかき)と名乗る男にいつしか肩入れしてしまう自分がいることもまた否定しようがない。
 政治学者の丸山眞男にならっていえば、この種の小説には狭い日常的現実にとじこもる「実感信仰」がある。けれども人間というものの複雑怪奇さを文学から学ばずして、どうして「市民」という普遍的な理念に到達できようか。そんな読後感が残った。
    ◇
 文芸春秋・1296円

2017年3月10日金曜日

汽車ポッポ判事の鉄道と戦争 [著]ゆたかはじめ

 1928(昭和3)年、東京生まれの著者の家は、東京駅が炎上した45年5月25日の大空襲で焼けたという。戦争中、父の赴任先の長崎からの帰り、乗った汽車が機銃掃射を受け、間一髪。原爆投下直後の長崎で、難を逃れた列車が負傷者の救援に動く。終戦のラジオ放送を聞いて、いつも通り動く山手線に乗る……鉄路とともにあった戦争体験が記憶に鮮やかだ。
 戦後、判事になり、国鉄全線を踏破。機会があれば営業線でないレールにも。「鉄道は、平和でなくては走り続けられない」と実感したのは、移住した沖縄で、軽便鉄道の遺跡が戦跡と重なるのを見てからだ。いまは沖縄に路面電車トラムを、と提案している。
    ◇
 弦書房・1944円

2017年3月9日木曜日

詩に就いて [著]谷川俊太郎

■ウィットと軽み、原点を見つめる

 谷川俊太郎の新詩集。タイトルはずばり『詩に就いて』だ。六十年以上詩を書き続けてきた著者が、八十代のいま、改めて投げかける問い。それがこの詩集だ。
 どの詩も言葉の立ち姿がくっきりとしていて、驚くほど軽やかだ。軽やかだけれど、重さがないという意味ではない。一編ごとに、抱えられている出来事、対峙(たいじ)する問題があって、言葉はそこに書かれていることの中心へ向かってぐっと引きしめられていく。
 たとえば「待つ」という詩の最初の二行。「詩が言葉に紛れてしまった/言葉の群衆をかき分けて詩を探す」。あるいは「脱ぐ」という詩にはこんな二行がある。「脱ぎ捨てられた言葉をかき集めて/詩が思いがけないあなたになる」。さらっと読めそうでそうはいかない言葉に出会い、行ったり来たりする時間も楽しい。
 詩のなかで観察する目が動く。その動きをなぞり、追うとき、すうっと詩の影が立ち上がる。たとえば「詩よ」の一連目。
 「言葉の餌を奪い合った揚げ句に/檻(おり)の中で詩が共食いしている/まばらな木立の奥で野生の詩は/じっと身をひそめている」
 また「木と詩」という一編では次の言葉に立ち止まる。
 「木は木という言葉に近づこうなどとは思っていないが、詩は詩という言葉に近づこうとして日夜研鑽(けんさん)に励んでいる、のは私に限らない。」
 この詩集を読みながら何度笑ってしまったかわからない。ウィットがある。この軽みの境地は、読者を楽しませるものだ。詩とはなにかを見直し、考え直しながら、人を楽しませる。同時に、未知の場へ連れていく。現状において著者でなければとれない方法が実現されていると思う。
 詩についての詩、つまり詩を対象とする詩作品を書くことを、著者は「あとがき」でこう語る。「本来は散文で論じるべきことを詩で書くのは、詩が散文では論じきれない部分をもつことに、うすうす気づいていたからだろう」。詩集の冒頭の一編「隙間」は、詩と散文を並べて、ながめる。
 「チェーホフの短編集が/テラスの白木の卓上に載っている/そこになにやらうっすら漂っているもの/どうやら詩の靄(もや)らしい/妙な話だ/チェーホフは散文を書いているのに」
 「あとがき」では詩作品(ポエム)と詩情(ポエジー)との違いが強調される。言葉で詩を書くとは、詩作品を書くということ。散文との違いはどうか。著者の目は、この詩集で改めてその原点へ向けられている。初めての書き下ろし詩集。その初々しさ、脱皮し続ける力。毒と愛嬌(あいきょう)、瞬発力。触れれば心が動き出す。
    ◇
 思潮社・1620円/たにかわ・しゅんたろう 31年生まれ。詩人。21歳の時に第1詩集『二十億光年の孤独』を刊行。『日々の地図』で読売文学賞。『世間知ラズ』で第1回萩原朔太郎賞。詩作のほか、翻訳や作詞なども手がける。

2017年3月8日水曜日

四月は少しつめたくて [著]谷川直子

■自分の言葉を取り戻すために

 例えば、戦争に荷担(かたん)する法律を作るのに、なぜ、「平和のため」という言い方をするのか。その言い方にはごまかしが入っているとわかっているのに、なぜ、消極的にでも受け入れてしまうのか。
 さまざまな原因の一つに、言葉がまともに機能しなくなっていることが挙げられる。言葉と心が、深いところで断ち切られているのだ。
 このテーマを真っ正面から扱った小説が、本作だ。
 詩人の藤堂孝雄は、二〇〇一年以来、詩を書けない。そこに編集者の今泉桜子が、新作の依頼に来る。藤堂に断られながらもやりとりを重ねるうち、桜子は、互いが死者に対して負い目を抱えて身動きできなくなっていることを知る。藤堂は妻に対して、桜子は産んですぐ死んだ子どもに対して。死者に正直になろうとすると言葉が出てこない。
 一方で、藤堂は詩の教室の講師を務めている。その講座に通い始めた清水まひろは、娘が、自殺未遂をした中学の同級生から、いじめの主だと濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられて以来、口をきかない、という悩みを抱えている。なぜ、同級生は嘘(うそ)をついたのか。本当のことは何なのか。どうしたら娘の苦しみを取り除けるのか。
 追求すればするほど、まひろは混乱していき、ついには言葉が意味を失っていると感じ、だから娘も言葉を話せなくなったのだと気づく。
 桜子もまひろも、言葉を取り戻すために必死で藤堂の詩を読む。作中に登場するそれらの詩は、詩人でもある谷川直子の真骨頂だ。二人はその過程で、自分の言葉を獲得する。そして、二人から学んだ藤堂も、虚無から抜け出すための発見をする。
 読み終われば、強い感銘とともに、「詩の言葉」とは、私たちが生きるなかで最も身近で大切な、日常の私的な言葉を指すと気づくだろう。あらゆる言葉が無意味と化した、詩の機能しないこの社会にあって、必読の小説である。
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 河出書房新社・1512円/たにがわ・なおこ 60年生まれ。『おしかくさま』で文芸賞、『断貧サロン』など。

2017年3月7日火曜日

境界を越えて [著]C・L・R・ジェームズ

■クリケットで語る植民地の精神

 『ブラック・ジャコバン——トゥサン=ルヴェルチュールとハイチ革命』の著者として知られるジェームズの故郷は、カリブ海のイギリス植民地、西インド諸島のトリニダード島。家の窓からはクリケット場が見えた。行商人から買う雑誌や母の本で英文学とクリケット批評に親しみ、学校で古典と英国式規範を教えこまれた黒人少年は、やがて英国を理想とする植民地的価値観に反発、カリブ海の現実を書き始める。文学、歴史、そしてクリケットについて。
 1963年の刊行以来読みつがれてきた本書は、著者の半生、植民地社会の精神構造、教育、人種階級、経済、芸術を、クリケット論として語る。選手ら人物の細かな描写は、英文学の引用を多用しながらも、ユーモアと反骨心に貫かれ、まさにカリブ海文学。クリケットおよびジェームズについては巻末の競技概要、さらにポール・ビュール『革命の芸術家——C・L・R・ジェームズの肖像』も参考になる。
    ◇
 本橋哲也訳、月曜社・3240円

2017年3月6日月曜日

忘れられた巨人 [著]カズオ・イシグロ

■不穏な世を舞台に、記憶とは何か問う

 ストイシズムか、あまのじゃくか、挑戦好きか、たぶんそのすべてだろうが、カズオ・イシグロは新作ごとに異なるスタイルで読者を驚かせてきた。長編としては十年ぶりの本作も同様。1ページ目に「当時まだこの土地に残っていた鬼たち」という言葉を見つけてびっくりした。これは一体どういう小説? ファンタジーと呼ぶのは簡単だがそうはしたくない。何と言ってもイシグロの小説なのだからと、この形式が取られた意味を考えつつページを繰っていく。
 舞台はアーサー王統治後のブリテン島。つまり伝説の設定を借りてその後の世界を想像している。法や協定が破られ、王のもたらした平和がほころび、ブリトン人とサクソン人の信頼が損なわれている。主人公は村を去った息子に会う旅に出たアクセルとベアトリスというブリトン人の老夫婦。旅の途上で、アーサー王のおいの老戦士ガウェインや、サクソン人だがブリトン人とも親しい屈強なウィスタンや、同じくサクソン人で将来を期待される少年エドウィンなどに出会う。一夜の宿を借りた修道院からの脱出、悪をはびこらす雌竜の退治、ガウェインとウィスタンの決闘など、イシグロならではの卓越したストーリーテリングだが、その底を静かに流れているのは記憶というテーマだ。
 これまでも人間に記憶がどう作用するかが探究されてきた。孤児たちが主人公の『わたしを離さないで』しかり。ピアニストが招待先の町で謎めいた状況に引き込まれる『充(み)たされざる者』も、成功した画家が戦後の価値の変化に困惑する『浮世の画家』もそうだった。ファンタジーの衣を借りた本作も例外ではなく、不穏な空気に包まれる世を舞台に、記憶とは何かを問うている。
 アクセルとベアトリスは蝋燭(ろうそく)を取り上げられ、村の周縁でひっそり暮らしてきた。息子が去ったのもその事に関係あるらしい。だが、ふたりはそうなった事情を憶(おぼ)えていない。いや、彼らのみならず、国全体が健忘の霧に覆われ、起きたこと、存在した人を忘れている。過去を語り合うことに意味がなくなっているのだ。
 「喜んで霧にくれてやりたいことも多いが、息子の顔はな……大切なものを思い出せないのはつらい」とアクセルはつぶやく。だが記憶に分け隔ては不可能である。憎しみの連鎖を起こす民族対立の記憶も、夫婦愛を育てる思いやりの記憶も、どちらも等しく記憶の姿なのだ。ウィスタンは少年に言う。「(恐れる)理由を失えば、そのぶんだけ恐怖は怪物的になる」。憎しみの記憶を超えるには、恐れの種を取り除くしかないわけだ。大文字の歴史においても、個の歴史においても。
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 土屋政雄訳、早川書房・2052円/Kazuo Ishiguro 54年、長崎生まれ。5歳でイギリスに渡り、英国籍を取得。『遠い山なみの光』で王立文学協会賞。『日の名残り』でブッカー賞。ほかに『わたしを離さないで』『浮世の画家』など。

思想の哲学

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